★このページでは、「私のこれまで」をご紹介していきます。

財団法人河野臨床医学研究所付属北品川第三病院時代 ①

最初に勤務したのが、東京都品川区にある財団法人河野臨床医学研究所付属北品川第三病院でした。整形外科スタッフとして午前中は外来にてアナムネ(予診)や骨折脱臼の整復そしてギプス巻などの処置など広範囲でドクターを補助する業務でした。

午後は回診の補助や包帯交換そして手術室でもサポート業務を行うなど非常に勉強になり多くの症例を経験させて頂きました。特に初代の河野稔理事長は、整骨師への問扉を開いておりこのように様々な臨床経験ができる現場は無かったと思います。ベンネット骨折やローランド骨折など希少な症例も体験できました。

また病院学会や院内の総会での研究発表など自己研究の場も多くあり本当に良い経験ができ、そして実績となった病院でした。初代理事長は、慈恵会医科大学整形外科助教授まで勤めた後に自前で研究所を設立しリュウマチなどの研究に尽力された方で特にイタイイタイ病の臨床報告では有名な方です。特別な思い出は、初代理事長が臨済宗龍澤寺の山本玄峰老師に師事されていた関係で我々も新人研修で参禅することが多くありました。私は、一番辛い大接心という冬の修行に参加したことが一番の思い出です。私のころは玄峰老師は、もういませんでしたので、宋忠老師という方にご指導を受けました。いつもその横には、宋淵老師が穏やかに座っておられました。外国人の修行者も多くいました。癌の告知を受け余命2年というドイツ人の方は、このお寺に来て修行することで7年目を迎えておられましたね。このお寺は、三島由紀夫や川上哲治などが修行したお寺としても有名です。      (続く)

財団法人河野臨床医学研究所付属北品川第三病院時代 ②

当時の北品川第三病院は、年間救急車受け入れ台数が3500台という超多忙な救急病院です。これは、河野稔理事長の救命救急医療に対する強い意志の現れでもありました。「断らない病院」体制を目指していたのです。よって第三病院は、脳神経外科や整形外科は常時待機し内科・外科は北品川第一病院などグループ病院で受け入れる体制でした。当時の強烈な思い出は、慈恵会医科大学形成外科教授の児島忠雄先生の行われるマイクロ手術などが特に思い出されます。顕微鏡下で血管・神経縫合を行う再接着OPは、手指切断の多くの患者を救いました。また血管柄付の筋皮膚移植手術なども当時の先進的な術式だったと思います。特に親指の切断に対する手術であるtoe to fingerは、驚きでした。字のごとく足の親指を欠損した手の親指に移植するもので当然、血管・神経も顕微鏡下で縫合して行うものです。手の親指は、非常に機能が複雑ですから欠損すると労災障害等級も高くなります。ですから欠損した患者は日常の生活が格段に下がることとなります。このOPで多くの方が救われました。児島先生は、現在埼玉県下の病院にて「手の外科」専門外来を行っておられます。そして整形外科領域では、河野稔理事長開発のKA-プレートが有名でした。大腿骨頸部骨折への独自プレートで固定する術法です。個々の患者の大腿骨頸部の状態にて数種類のプレートが用意されています。その後、流れも変わりcompression hip screwなどが多用されています。

夜間救急の宿直では、脳外科の吉水信裕先生・平元周先生そして整形外科の河野稔彦先生・横山孝先生・赤津博美先生・形成外科の土田義隆先生などと寝食を共にさせて頂きながら本当に多くを学ばせて頂きました。(続く)

財団時代 臨済宗三島龍澤寺での座禅研修    ③

財団時代、理事長が師と仰いでいた三島龍澤寺の山本玄峰老師という方がおられました。私が財団に入所した時にはすでに他界されていましたが、歴史上非常に有名なお坊さんです。終戦時にマッカーサーが天皇廃止に傾いた際に鈴木貫太郎首相の補佐官が、この老師のもとに駆けつけ助言を仰ぎました。

老師は「天皇は国の象徴として・・・」という助言を与えたことで「象徴天皇」の位置づけが生まれたといいます。当時から多くの政界・財界からの支持を受けた老師でした。私がこの龍澤寺で研修した昭和58年頃は、玄峰老師の後の中川宋淵老師その後の鈴木宋忠老師の時代でした。大接心という本来の僧たちの修行に参加したため一日中座禅を組む内容でした。冬の修行で大変辛かった思い出があります。その時に雲水の中に藤居自安という福岡出身の方がおられ縁がうまれました。この方が伊豆長岡の曹源寺の住職になられた後もおつきあいが続き、よく泊りがけで遊びに行きました。自安老師はボストンでジューイッシュの方々に座禅指導も行っていたので渡米の際は、成田空港まで送迎しながらいろいろとお話をさせて頂きました。禅宗は、自己修行が目的ですので多くのことを学ばせて頂きました。この時期の私と禅との関わりは、私の人生でも大変貴重な財産となっています。死生観や人生の意味など深い次元で考えさせられた時代です。(画像は山本玄峰老師)