『こころ』の栄養学 第6回~10回
第6回 「自分らしさ」は、どのように育つか?
さて、こころの三角錐の体積が大きいと言うだけでなくこの底面が広いと、どっしりしたこころの持ち主といえるとは言いましたが、患者さんたちから問われたのは「じゃあ、どうしたら底面を広くできるのか」ということでした。つまり、どうしたら「自分らしさ」が育つのかと言うことです。これはその後母親学級や両親学級で子育てのお話をするときにもよく問われたことです。
「どうしたらどっしりしたこころが育つのか?」、「どうしたらこころの三角錐の底面を広くできるのか?」ご一緒に考えてみましょう。自分を振り返ってみてもいいのですが、お子さまをおもちの方々は自分にお子さんにどんな言葉をかけているか思い出していただければいいのです。どなたもいい子に育ちたいしいい子を育てたいと思っていますが、そのとき親が子どもにかける言葉、親からかけられる言葉ってどんな言葉でしたか。
多くの方は「いい子になりなさい」といわれ「親に反抗するんじゃありません」とか「親の言うとおりにしていれば間違いないのよ」といわれてきたのではないですか。じつはこうして「親の言うことをよく聞く子」がいい子というイメージができてしまうのです。でも大切なのは「自分がなにをしたいか」であり「したいことをもつこと」なのです。図3の左側を見て下さい。「なにかをしたい」という『こころ』としていいかどうかを判断する葛藤を経て「自分らしさ」は生まれるのです。つまり「なにかをしたい!」と言う気持ちがないと「自分らしさ」は育たないのです。
第7回 『こころ』の育ちを考える
ちょっと理屈っぽくなりました。もうひと踏ん張りです。また図3をお示しします。この図の右には2枚の図がありますが、上の図は、いまどきの子どもたちのこころのつくりです。この図の中の点線は、子どもがなにをしたいか考えて欲求を高くしたときに線、でも、せっかく欲求が高まったのに親やおじいちゃん・おばあちゃんが「なにがほしいのか言ってごらん。買ってあげるから」と言ったら、アルバイトをしてでも自分で手に入れようと思っていたスマートフォンも買ってもらえるのですからアルバイトもしなくなるでしょう。
アルバイトを奨励するのではありませんが、アルバイトをすれば世の中と直接触れることにもなるのです。眠くても朝起きて仕事に行かなければならないでしょうし、気にくわない人にもきちんとあいさつをしなければいけないという社会のルール、規範や決まり、あるいは約束ごとがこころに入るのです。なにもしないでほしいものが手に入るようであれば、欲求のレベルは下がりますし、世の中のルールを引き込むチャンスも失います。こうしてこころのなかが空っぽの個が誕生するのです。
さて右の図の下はこれとは全く反対の子育て、ルールを教え込んでしまう子育てです。世の中の規範や決まり、約束ごとを教え込まれた子は「いい子」でしょうしその子が大きくなればルールの守れるしっかりした大人のように見えます。ただ、世の中はいつもルール通りに動いているわけではありません、こんどの東日本大震災を考えても大混乱のなかでは「自分で考えて行動する」ことが重要でした。問題はそこです。
第8回 ちょっとここらで一休み
ちょっとここらで一休みして、なぜ私が温香堂鍼灸整骨院のホームページに登場するようになったかをお話しします。かっこよくいえば深い人間関係の絆です。温香堂鍼灸整骨院院長の高口温生さんは自己紹介のなかにもありますように鍼灸整骨に関しては大ベテラン。お身内が始めた音楽療法士養成の専門学院を受け継ぐために本職を擲って学院の専務理事になりました。私との出会いはこうしてはじまります。すでに私は国立精神・神経センター精神保健研究所の所長を辞めこの学院の学院長をお引き受けしていたときです。
ただ残念なことに、わが国の経済の低迷に歩調を合わせるように福祉に緊縮財政が強いられるようになりました。こうして音楽療法の国家資格化は大きな壁に閉ざされました。高口院長は、引き続き国家資格化と音楽療法発展のための新規事業案を策定しますが、経営側との折り合いが着かず学院から手を引くことになりました。この間の彼の苦労を見ていた学院長の私は、専務理事としての彼ととことん語り合ったものです。それは深い絆で結ばれた人間関係にあったと言ってもいいでしょう。
「人は人から学ぶ」と私は考えています。人との関係を結ばないと人からは学べません。いえ、あらゆることを学べなくなるのです。書物からも確かに学べるのですが、書物は「ここがわからない」と声をかけても返事をしてくれません。テレビから学ぶものもありますが、テレビは返事をしてくれません。医学・医療も患者さんと治療者との関係が深くならなければいい治療はできません。治療者は患者さんから学ぶのです。高口院長が再び始めた医学・医療は、その線にのっとって行われるはずだと信じています。
第9回 人間関係は複雑っていうけれど
さて、その人間関係ですが、よく「人間関係は複雑で・・・」という人がいます。確かに考えようによっては、人間関係は複雑に見えるのですが単純化することもできます。人間関係に悩む方は、この複雑な方に目を向けてしまうから「人間関係は難しい」と感じるのでしょう。でも次のように考えてみて下さい。人間関係は、①自分よりも上の人との関係、②自分よりも下の人との関係、③自分と同じ年齢、同年配の人との関係、という3段階に分けて考えるのです。これを図5でお示しします。
まずはご自分が子どものときを想像してください。この図4の真ん中の「子」があなただとします。この子は自分よりも上の人、子どもときは親であるし、幼稚園や保育園あるいは学校に入れば先生、そして社会に出れば上司が上の人になります。自分よりも下の人、自分がまだ小さいときは自分よりも下の赤ちゃん、学校に入れば下級生、社会に出れば後輩がこの下の人です。さらに自分と同年あるいは同年に近い人、保育園や幼稚園あるいは小学校、中学、高校などの同級生をイメージしてください。社会に出れば同年に近い同僚といえるでしょう。
人間関係はこの3段階をぐるぐる回るだけで①→②→③→①‘②’→③‘→①“→②”→③“→・・・というように進みます。これを図にしたものが図5です。
人のこころはこうして大きくなります。さて、いよいよ「こころの栄養“学”」、なぜ「栄養学」ではなく「栄養“学”」なのでしょうか。次回はそこから語ります。
図4 (clickで拡大)
図5 (clickで拡大)
第10回 脳科学はまだまだ未熟
「こころは脳でできる」ことは確かです。とはいうもののなかなか「その通り」と言い切ることはできません。その理由は、脳科学はまだまだ学問として未熟で「脳」を科学的に極めたとはいえないからです。もちろん脳科学者はなんとか脳機能とこころを結びつけようと必死になっているのですが、ぶっちゃけて言いますと、いまの脳科学でわかっていることは脳をかなり映像化することに成功したので、これまでわからなかったことがわかるようになったと言う程度なのです。
「計算」について考えますと、とにかく計算をしてもらうと脳のある部分が活性化することまではわかりました。特殊な物質を与えて計算させるとそこが光ったりするからだとお考え下さい。もちろんそれだけでもすごいことなのですが、2+2=4と言う計算をさせても、2×2=4と言う計算をさせてもその違いがわかるわけではないですし、ましてや2×5を計算しているのか200+500を計算しているのかは全くわかりません。
悲しいときは脳のある場所が“光ったり”するのですが、親を亡くして悲しんでいるのか恋人に振られたから悲しんでいるのかは全くわからないのです。つまり「こころ」についてはわかっていないことだらけと言ってもいいでしょう。でも、がっかりしないで下さい。それだから「こころ」は面白いとも言えるのです。何でもかんでもわかってしまったら、面白くもないと考えるのもまた人間だからなのです。子どものこころはみんなわかっていると思っていたはずなのに、わからなくなったという経験を思い出して下さい。
★前編10回を終えました。2012年より後編を掲載します。
謝辞)
吉川先生には、超ご多忙な中、この連載を快くお引き受け頂き感謝申し上げます。
また新年度から後編をお書き頂くわけですが我々も楽しみに待っています。